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 通巻第31号                                  2000/9/2

 

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             特 別 号

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 南北首脳会談直前に、中国から届いた一通の手紙があります。こ

れを何回かに分けて紹介するのではなく、全文掲載いたします。そ

のため今号は、特別号にさせていただきました。次号は通常の配信

内容となります。

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       ★☆★ 中国から届いた手紙 ★☆★

 

 

 私は朝鮮咸鏡北道清津市浦項(ポハン)地域に住む朴英蘭(パク・ヨ

ンラン)と申します。今年43歳で夫は清津市の造船所に通い、私は

地方産業工場の労働者として暮し、息子娘三人と五人家族でした。

 

 夫と私は結婚してから、他人に劣らない幸福で充実した生活をする

ために熱心に働き、一生懸命生きてきました。しかしこの10年以来

は、二人とも出勤しても配給と労賃をくれず、工場は遂に門を閉じて

しまいました。

 

 党組織や政府は中身のないスローガンだけを叫び、私たちの生活に

対してはお手上げで知らぬ振りでした。それで私たちもただ目を開け

て座り、飢え死にする訳にも行かず、他人のように1996年から市

場に通い裏商売をし、夫は外地に行き放浪生活をして一銭ニ銭かき集

めたお金で、やっとのことで粥を食べ、何とか延命することができま

した。

 

 しかしそんなことすらも、初めてしてみる商売なので、私たちには

とても慣れないつらい仕事でした。下手をすると罵声を浴び、警察に

はあの口実、この口実と拘束され、ならず者、ごろつきからは袋叩き

にあい、品物を強奪されるのが日常でした。

 

 もともと商売などする才覚もない上に、恐怖と不安の中でする仕事

が手につかず、こんな方法では五人家族の空いた腹を埋めることはで

きませんでした。それでも何とか生きようと、豆満江沿岸の中国に渡

り、野良仕事をすれば幾らかお金儲けできるというので、友達と一緒

に三回も渡江し野良仕事をしました。

 

 しかし私たち夫婦が二人とも出てきて働く期間に、家にいる三人の

幼子たちが表をほっつき歩きコッチェビ(浮浪児)になる惨状を、ただ

目を開いて見るわけには行かず、親として自分の責任を果たせない罪

責感から、毎晩血の涙を抑えることができませんでした。

 

 中国国境をしょっちょう行き来すると、その後起きる問題が想像も

できず、居住地で商売しようとしても上手く行かず、空に向かって訴

えても、地面を叩いて慟哭しても、無駄でした。

 

 結婚してから、愛となごやかさに溢れる一家団欒な家庭生活を夢見

て、人間らしい暮しをしようとしたのに、社会の現実はその素朴な夢

まで、遥か遠い幻想に造ってしまい、人間が世の中に持って来た、た

った一度しかない生命すら保ち難いのでは、どこが人の住む世の中で

しょうか?

 

 この思い、あの悩みして見ても、何も良い方法はありませんでした。

朝鮮国内はどこに行っても同じだったし、それも体一つならいざ知ら

ず、一家に三人も幼子を抱えているので、どこに行って何をすれば思

うように行くのでしょう?

 

 中国の辺境地帯で見聞きしたことがあり、その時からここに来て、

たった一日でも人間らしい生活をしてみたいという気持ちが、心の奥

深くを占めるようになり、幼い子どもたちの手をつかみ、寒さに負け

ず、指が全部出るぼろぼろに裂けた靴に、履く靴下もなく、このよう

に故郷を捨て旅立たねばならない境遇を思う悲痛な涙を流しながら、

1999年2月8日に脱北に成功し、無事に開山屯鎮のある農家を訪

ねました。

 

 その次の日、付近で野良仕事をしている同胞(中国の朝鮮族)の家を

訪ね助けを求めたら、とても喜んで迎えてくださり、旧正月のお祝い

も自分の家でできず、この寒い冬の日にこんな苦労をするとは、とて

も胸が痛むとおっしゃいました。

 

 この家に何日間いる内に、私たちが一日でも早く自給自足しようと

いう心理と、申し訳ないという心情を推し量ってここの夫婦は、ある

近い親戚が延吉で食堂をしていて、収入も良いし、人付き合いも良く、

人格も良い、もう既に電話で皆話し打ち合わせしたから、私たちの意

向はどうかと訊ねました。

 

 私たちは、このように一つの屋根の下で家族の様に接してくれ、ま

た将来の心配までしてくれて、本当にあり難いことでした。

 

 それで次の日開山屯を出て延吉市に小さな新しい家を借り、一家五

人がこの食堂で暮しながら、色々な仕事を手伝いながらどうにか暮し

ました。

 

 空には予測し難い困難な風雲があるというが、今年4月8日8時頃

に派出所の公安警官三人が我が家を訪ねて来て、子どもたちと私を車

に押し込み、当地の派出所に拘留しました。その時夫はトイレに行っ

ていて、厄から逃れることができました。

 

 必死になって訴えてみたものの、派出所には人情も事情もなく、次

の日に龍井辺境大隊に私を移送しました。

 

 この話を聞いた食堂の主人夫婦はあらゆる努力をして、三人の子ど

もは釈放されましたが、私は他の20余名の脱北者と一緒に会寧市の

集結所に行くことになりました。

 

 この時から私は生まれて初めての囚人生活を体験することになり、

所謂『社会主義社会』の野蛮な人権蹂躙を二つの目でしっかり見て体

験しました。

 

 朝鮮に護送され会寧市保衛部を経て、再び『集結所対象』と認定さ

れ、会寧市集結所の庭に入るや否や、一グループの安全員たちが手に

棍棒を持ち、私たちをやたらに踏みにじり、蹴り、殴る、暴行を加え

ました。

 

 初めて受ける苦境に、皆口からはうめき声と悲鳴が漏れ続け、する

と余計ひどく殴るのでした。

 

 このように私たちは祖国の地に足を踏み入れた瞬間から、棍棒の洗

礼と拳骨、足蹴り、口で言えないような非人間的な屈辱的な待遇を受

け始めました。

 

 その時女性は20歳から50歳の15人でした。彼らはわれわれを

封鎖された部屋の中に閉じ込めると、安全員三人が入って来て「皆、

服を全部脱げ」と怒鳴りました。

 

 神様お止め下さい。以前に集結所や拘留所に入るとめったやたら殴

られ、大変な思いをするとぼんやりと聞いたことはあったが、今日こ

のように直接自分がそんな目に会うとは、あまりに驚いて気を失って

倒れそうだった。男の安全員の前で服を全部脱いで立てとは、真昼間

に何の刑罰なのかと思い、みな恥ずかしくてどうしようもなかったが、

前に立っていた安全員が棒で代り代り手にした棍棒で、頭、腹、胸、

腰、わけ隔てなくやたら殴りかかるので、皆目の前の棒が怖くてどう

することもできませんでした。そして最後には全部脱がされてしまい

ました。

 

 そのように強要した安全員は、ポケットと下着まで隅々までひっく

り返して、所持品を全部ほじくり出すのです。その中には隠しきれず

に服のおくみに隠蔽しようとして見つかった中国のお金も少なくあり

ませんでした。

 

 こんな事情があることを、既に聞いたことのある殆どの人は、身に

つけていたお金を事前に隠そうとしたが全部ばれてしまいました。

 

 拘留場に連れて行かれる前に中国の拘留場で、何人かの女性が血と

汗で稼いだお金をビニールに包んで飲み込んでしまうのを見て、私も

中国のお金100元札をビニールに包んで口に入れて飲んでしまいま

した。

 

 こうやって食べてしまったお金を後で便所に行って、大便をした後

探し出すのです。このお金で刑期を終えた後、生活に使ったり、当地

の拘留所安全員に渡して刑期を短縮したり、刑罰を軽減してもらった

りするのです。このようにお金が生命のように貴重なので、皆奪われ

まいとあらゆる方法を使って保管するのでした。

 

 安全員たちは所持品やお金だけでなく、服、靴、ベルトまで奪って

行きました。そうして奪った品々を持って出て安全員たちは得意満面

で、もしも誰かが品物を出さないで隠しておいて後にばれたら、容赦

しないぞと脅しをかけました。

 

 頭の中がぼーっとしていた私は、暫く経ってからやっと正気を取り

戻しました。こんなことが世の中にあって良いのか、誰もが決して許

し難い蛮行でなく何なのか?

 

 いくら重い罪を冒した囚人だからといって、男の前で強制的に全裸

にされるとは、考えただけでも鳥肌が立ち全身がぞくぞく震える。

 彼らは一体、母親もなく、姉も、妻もいない人間だとでもいうのか。

 

 所持品やお金を奪われた人はため息をつきぼーっとしているし、私

のようにお金を飲み込んだ人は肝臓が大豆のようになり、何か刑罰を

受けているほどで息も大きく吸えずに毎日を過ごしました。

 

 監房でくれる食事は、トウモロコシを蒸したもの一握りほどだで、

皆古くて底に穴が開いたアルミの器に入っています。それを何日間も

洗ってない汚い手でつかんで食べるしかありません。

 

 それすらも決められた時間内に食べ終えなければなりませんが、生

のトウモロコシをただ蒸しただけなので、歯がなかったり悪い人はま

るで食べられず、ポケットに入れておいて、後で食べたりします。便

所も個別的にには行かせず、定められた時間に急いで用を足しますが、

監視するために扉も閉められません。

 

 緊張と恐怖の中で日々を送っていたせいか、私は監房生活五日目で

やっと大便があり、隠れて飲み込んだお金100元を回収できました。

 

 4月の初めで気候はとても寒く、じめじめとして陽の光の入らない

拘留場の中は悪臭が漂い、吐き気がして、体にかけるものもなく、そ

のまま冷たいコンクリートの地べたに横になって寝るしかありません

でしたが、自分の体温で寒さに打ち勝とうと、皆夜になるとうずくま

って歯をくいしばりました。

 

 それだけではありません。虱と南京虫が煩わしく這い回り、眠るに

眠れません。四面の壁はすべて虱と南京虫をつぶした血で、真っ赤に

塗られたようでした。監房で虱と南京虫から受ける苦しみは、安全員

から受ける苦痛や寒さに、負けず劣らず耐え難いものでした。環境も

こうなので衛生施設と保障などというものはありません。

 

 一月も半年も、顔も洗えず、歯も磨けず、髭も剃れないので、男性

たちは年齢の区別もできないほど皆ひげもじゃでした。強制労働の時

は、大きな荷物でも小さな荷物でも走らされ、少しでものろいと殴ら

れます。

 

 安全員たちは囚人に、あらゆる方法で肉体上、精神上苦痛を与えて

苦しめ、目にひっかかりさえすれぱ終身病人に仕立て上げ、死の道へ

送ります。彼らは監房の囚人を、人間扱いせず犬獣以下に接します。

 

 私は今度の監房生活を通して、世の中にこんな人間生き地獄が本当

に存在しているということを切実に感じました。

 

 脱北してもう中国で5年間以上生活したという58歳の黄○○老人

は、脱北前は清津市のある区域の病院で漢方医として働いていたので、

同じ清津市の人だからといつも大事にしてくれました。また他の人か

らも、彼に対する幾つかの話も聞きました。

 

 彼は囚人の中でも歳を取った人の内の一人で、他の人に比べて苦労

もまた多いほうでした。中国に一家親族のいる彼は、運悪く誕生日の

日に捕まって龍井辺境大隊に拘束されたのですが、流暢な中国語で当

地の公安警官に抗議し叱責すると、ぐでんぐでんに酒に酔った漢族が

滅多やたらに殴る蹴るの暴行を加えても飽き足らず、老人が声を出す

と口に幅広いビニールテープを貼ってしまい声をださせないようにし

て、コンクリートの床にうつ伏せにして、全身傷の無いところがない

程、電気棍棒で殴りつけました。

 

 彼はこの集結所に移送されて、殴られた出血のせいか、行動が少し

遅いと毎回罵声を浴び、殴打されるのが常でした。

 

 このように正直で、医者の品性の漂う優しくておとなしい老人が、

何日かの間にまるで間の抜けた他の人に豹変してしまいました。

 

 ある日、ひとりのおばさんがお腹をこわし、便所に行くと明け方か

ら申請したのに、安全員が「集団で便所に行く時、一緒に行け」と送

らせず、そのおばさんは我慢できずズボンに大便を漏らしてしまいま

した。

 

 糞尿がズボンの裾を伝って流れ出ると、鼻を刺す悪臭が漂い、この

光景を見た安全員は、面白い見世物が生じたと、待っていたかとばか

りに、そのおばさんにズボンを脱がせ、地面に手をつき四つんばいに

させました。

 

 そして黄医者を呼び、地面に四つんばいになったそのおばさんのお

尻に、鼻をつけうつ伏せにさせ、少しでも頭をあげたり間隔を置くと

棍棒で殴りました。彼は一日中夜までこの残酷な刑罰を受けました。

 

 私はまだ世間の荒波を皆経験してないせいか、こんな残忍で目を開

けて見られないような刑罰など、聞いたこともなかったし考えること

もできませんでした。

(このおばさんの家は咸鏡南道北青郡にあるそうです)

 

 皆憤激して体が震え、憎悪心で煮えくり返ったが、対抗して立ちあ

がることはできなかった。対抗して自分が死ねばそれで終わりだが、

父母兄弟や息子娘が一晩の内に、名前も知らないある場所に送られ、

一生を過ごすようになることを知っているので、ただそのまま見てい

るしかありませんでした。

 

 ある人が『罪』を侵せば家族はもちろん、血縁関係のある親戚まで

連帯責任を問われるので、入党、就職など社会のあらゆる分野で制限

されるのです。その昔の封建社会の刑罰を、代を受け継いだ宝物のよ

うに大事にして、人民の反抗や弾圧に今も適用しているのが朝鮮です。

 

 このことがあった二日後に、28歳の崔○○という男が、非人間的

な苦痛を受けるのはもう耐えられず、機会を狙って鉄筋の壁の間をど

う潜り抜けたのか脱出しました。

 

 すると彼を探すために、囚人の中から任命した6人と安全員2名が

選定されました。安全員2名は囚人6名に「早く捕まえないと、お前

たちも同じ罪で処理する」と脅して拘留場の外に出て行きました。

 

 暫くして崔○○を捕まえて帰って来ましたが、彼は背も高く体格も

良かったのに、食事も与えられず疲労困憊の上に暴行を徹底的に受け、

いくらも走れずに捕まってしまったのです。

 

 安全員はその6名を見て、「お前たちがこいつをどうするべきか知

っているな?」と言うと、6名の囚人はわっと彼のところに走り寄り、

すぐさま彼を引きずり倒すと頭から足の先まで、怪我のないところが

ない程に暴行を加えました。

 

 半日も殴る蹴るを続け、悲鳴もあげられず動くこともできないのに

殴打を止めませんでした。そうしてから集結所の100余名を呼び出

し整列させた後、皆に「二つの目をしっかり開けて脱走犯の惨状を見

ろ」と言い、全身血まみれで半分意識もなく、髪の毛も血で一塊にな

った崔○○を見て、皆の前でしっかり立てと大声で叫びました。

 

 彼はありとあらゆる力をふり絞って起きようとしましたが、半分も

立てないまま前につんのめって倒れてしまいました。彼はもう片脚を

骨折していて、体を維持して立てない状態だったのです。それでもあ

くどい安全員たちは、彼が「仮病を使って大袈裟に痛いふり」をする

と、棒でひどく殴りました。すると横にいた囚人が、彼の身を支え立

たせましたが、片脚だけで地面を踏み、もう一方の脚は地面に届きま

せんでした。

 

 片脚でほんの一瞬でも立っていた彼は、痛さとめまいでまた倒れこ

みました。すると安全員は「今後もし脱出者が出たらこのようになる

と思え」と脅しをかけ、他の囚人を使って監房に彼を引きずって行き

ました。彼に対しては病気の治療どころか、もっとひどい苦しみだけ

を与えたので、今はどうなったか生死は分かりません。

 

 私たち女性監房の34歳の李貞玉(リ・ジョンオク)は、何日か前農

場で大きな石を運んでいて、そのまま足を踏み外し、足首がぱんぱん

に腫れ上がり人の首くらいになったのに、治療を受けるどころか毎日

強制労働に駆り立てられ、彼女の顔には苦痛と口惜しさ、憤怒で涙の

乾く暇がありませんでした。

 

 彼女は夜になると痛みでうめき声を出すのですが、皆はそんな悪運

に会わないようにとお祈りをしました。そのうめき声は私たちの胸に

突き刺さり、あせりと恐怖に震える私たちの心をより締め付け、おの

れの不運な身の上を嘆くのでした。

 

 凄惨な現状はこれだけではありませんでした。

 

 私たちは毎日、頭の後に両手を組み、座ったり立ったりする『ポン

プ』を500回ずつさせられるのですが、本当に耐え難い苦しみを受

けなければなりませんでした。

 

 この刑罰は、上手くても、下手でも、目にとまろうとも、とまらな

くてもさせられるのですが、鞭で打たれるのにも負けない刑罰です。

 

 健康な男子ですら大変つらいのに、私たちのように飢えて、寒さに

震え、うとうとすることも許されない苦行に毎日痛めつけられる監房

の囚人として言えば、あまりにどぎつい刑罰です。特に体が、病気や

妊娠して臨月の人なども同じようにしなければならないので、動作が

少しでものろかったり、ぎこちないと下足で蹴り、棍棒で殴ります。

 

 監房の囚人にできないことをやらせては、それをきちんとできない

と言いがかりをつけ、それを理由にして悪行の限りを働く者など、人

間白丁(差別語!!金日成の教示にもある言葉)ではないでしょうか?

 

 その鞭が怖くて皆、歯をくいしばり道を極める(修行)精神で、50

0回を達成しようとしても、到底その回数には及ばず無実の鞭から逃

れられないのです。

 

 監房は囚人をきちんと管理し、強化教養を良くして、新しい人に造

りかえる所だと思っていたので、このようにまともな人を廃人にし、

腑抜けにしてしまい、限りない苦しみを与え、非人間的に接し、一日

急いで殺してしまわないのは、なぜ恨み言を言うのか探すのを目的に

しているからとは、本当に知りませんでした。

 

 私と同じ監房にいた女性の中で、20歳過ぎの二人が臨月でもう出

産する状態になったのに、安全員幹部たちは最初からこの二人にわざ

と強くあたり、人身迫害を加えました。

 

 何かと棒きれで二人のお腹をぎしぎし突っついたりひっぱたいては、

「このあま、お前らの腹の中にいるのは中国の種だから、出て来る前

に殺してしまえ」といじめるのでした。

 

 ある日、妊娠した女たちを引っ張り出して座らせて、冷たい水を体

と顔にぶっかけて、驚かせて自然に胎児が落ちてくるようにと暴行を

加えました。

 

 安全員の本音が分からない妊婦たちではありませんでしたが、本能

的にあらゆる方法を尽くしてお腹の中の子どもを守りました。

 

 服がぐっしょり濡れてしまったので、夜中には私たちがお互いに服

を脱いで着せて上げ、彼女たちが寒さに震えるのを減らしました。薄

い服一枚しか着ていない彼女たちは、何日も寒さと必死に闘いました。

 

 じっと座って死ぬのを待つよりも、生きる道を探し異国で他郷暮し

をしながら暮した人が、国を裏切る逆賊罪を冒したといっても、彼女

のお腹の中に宿った赤ん坊に何の罪があるのでしょう? 

 

 しかしひとりが罪を侵せば、その血縁関係の人が皆連携され、蔑視

と虐待を受けなければならないのだから、囚人のお腹の中の子どもま

でも例外にはならず、同じ罪として扱われます。

 

 偶然にも二人は4月末前に出産しました。ひとりがまず4月15日

頃に突然お産の兆候があり、監房の中の年配の人が手伝い無事に子ど

もを産みました。

 

 私たちは皆でポケット銭を集めて下着をむしってつなぎ合わせ、小

さなポデキ(赤ちゃんを背負うねんねこ)を作って、一生懸命赤ちゃん

の身をくるんであげ、自分の服を脱いで被せてあげました。監房の中

には着ている服以外は何もないので、このように心の上だけで同情す

るしかありませんでした。赤子と母体が無事だったので、それでも一

同安堵の息をつき、冷たい部屋の中の薄暗い所で、彼女たちを静かに

祝福したのでした。

 

 年若い母親は本能的に、服にくるんだ自分の血まみれの赤子をじっ

と眺めてから、胸にぎゅっと抱きしめて止め処もない涙を流しました。

「この世に新しい生命がおぎゃーと泣いて生まれ、女性として母親と

して、こんな環境で蔑視、虐待を受けながら子どもを産まなければな

らない」悲しみが込み上がって流れ出た涙だろう。

 

 妊婦がお産をして赤ん坊を産んだということを知った安全員は、即

刻走って来て監房の中に入り、母親のふところからお乳も飲む前にが

ばっと引き離し、ビニール幕のはぎれを投げつけ、「お前たちが子ど

もの命を絶ち切れない時は、この棒が情け容赦しないことを覚悟しろ

よ」と、扉をガチャーンと閉めて出て行ってしまいました。

 

 ビニールの端布を渡したというのは、それを水に濡らし、赤ん坊の

顔を塞いで息を止め殺してしまえという意味です。監房に長くいる女

性によれば、この子の前にもう五人の子をまったく同じ方法で殺した

そうです。

 

 不幸な赤ん坊はこうして、何回もお母さんの胸に抱かれることもな

く、乳もまともに飲めないまま、声なく夭折してしまいました。この

光景に赤ん坊の母親は全身を揺すって慟哭したが、そのまま気絶して

倒れこみ、正気に戻りませんでした。

 

 暫くして目をぎょろつかせた安全員が、すぐに近くにある羊飼育場

に行って捨てて来いと怒鳴るので、私たちの中から年配のおばさんが

抱いて出て行き、羊の倉庫に入れようとしたら、そこにはもう先に中

年の男の死体があり、おばさんを驚かせました。

 

 察するに、監獄では発疹チフスが流行り、多のく人が病気に罹った

のに、何か対策するどころか、薬一服も飲めないまま、口惜しい死を

迎えたのです。

 

 私と一緒に入って来たもうひとりの妊婦も、何日か後にお産を迎え、

私たちは前のようにお産を手伝い、無事に赤ん坊を産みました。初産

だったらしく、とてもつらそうでしたが、監房の中の女性と本人の忍

耐で、比較的順調にお産をしました。

 

 私たちは次の日、何日か前の赤ん坊と同じ運命になるのが免れない

ようで、手に汗を握りため息をつくばかりでしたが、安全員が来て母

親の所属する郡から護送員が来たので、出ろと彼女を呼びました。母

親が赤ん坊を抱こうとすると、「早く子どもを捨ててひとりで出て来

んか」と叫んでも、彼女は赤ん坊と離れるのがつらくて歩こうとしま

せんでした。すると隣にいた安全員が、彼女を力ずくでつかみ引きず

り出して行くのでした。

 

 監房の廊下には彼女の叫び声が、耳にこびりつき鳴り響きました。

 この世でもっとも神聖なものは母性愛だと言うではありませんか?

自分の産んだ子どもに母としての愛も与えられず、生き別れしなくて

はならず日の光も見られず子どもを死に追い込むとは、母としてどう

して心の底から血の涙を流れずにいられましょうか?

 

 母が囚人だからと産まれたばかりの赤ん坊が、生きる権利もなく、

この世に存在してはならないとは、その母の刀でえぐられるような心

情は知って余りあります。

 

 護送車が出発した後、安全員たちが来て、「早くこの中国の種をか

たずけんか」と脅したてるので、皆部屋の片隅に固まってぶるぶる震

えていると、棍棒を手にやたら殴りかかり足で蹴る暴行を加えるので

した。

 

 そしてこの前赤ん坊を抱いて出て行ったおばさんが、頭を他所に向

けて二つの指で軽く赤子の首を絞めて、死に至らしめました。

 何の罪もない、余りに軽い生命でした。

 

 産まれるや否や、何の罪をしでかしたと、凄惨な死を押しつけられ

のでしょうか? 他の人間の生命と同じにこの世を訪れたのに、数時

間も生命を維持できずに、生き殺しにされなくてはならないのか? 

この世に人間の尊厳と人権が、このように無惨に踏みにじられ、人の

命を蝿以下に扱う殺人狂たちがいるとは、余りのことに憤激を抑えら

れず全身が震えます。

 

 朝鮮の殺人人間白丁の、このような非人間的な野蛮な行為は世界の

文明に対する露骨な挑発で、必ずや歴史の峻厳な審判を免れないでし

ょう。

 

 監房では発疹チフスのせいで悲惨に死ぬ人もいますが、その他の疾

病原因から突然死ぬ人もいます。去る4月中旬、ある中年の男が発疹

チフスに罹ってもいないのに、夜中の内に急に死んでしまいました。

 

 安全員たちは拷問に反抗して自決した奴だと言い、金属の破片かガ

ラスの破片を食べて死んだのではないかと、死体を解剖しました。死

体を羊飼育場に運び込み、古びた斧で胸と腹を裂き、胃とはらわたを

やたら引っ掻き回し、何を飲み込んだのか検査するのでした。

 

 ひとしきり上から下まで裏返してみましたが、金属やガラスの破片

などは探し出せませんでした。ぼろの斧で囚人の腹を裂いて分けるそ

の惨状は、まるで賭殺場の熟練工を思わせました。実に集結所の監房

生活のすべての出来事を皆語るには、私の筆力では余りに不足で口惜

しいばかりです。

 

 私は4月末頃に該当区域から護送しに来て、11人の囚人たちはそ

れぞれ手首に縄を縛られました。私たちを引き継がせる集結所の安全

員は、一本の縛り縄でつないでおけと教えましたが、護送の安全員は

「大丈夫だからそのまま行こう」と言いました。

 

 護送される途中、20代の男ひとりが不意に逃げ出そうとして、突

然の情況に直面した安全員は彼を追いかけて捕まえようとしたので、

皆がそれぞれ違う方向に逃げ出しました。

 

 こうして私は偶然護送の途中で脱出して自由の身になり、九死一生

に生き残れました。私は大事に隠し持っていたお金700元を持って

故郷の清津にいる親戚を訪ねました。そこで人民幣100元を朝鮮の

お金2450ウォンに両替し、生活の苦しい親戚に2000ウォンを

渡し、残りの450ウォンを持って再び中国に向かって旅立ちました。

 

 私たち一家が脱北したせいで、親戚も監視を受けていたのでこれ以

上はいられず、親しい友人の家を訪ねると、彼女は私の顔を見るとと

ても喜んで、抱きしめて涙から流すのでした。

 

 彼女は全身血まみれの私の体を見て胸を痛め泣きながら、自分がこ

の間どうやって暮して来たかを話すのでした。

 

 貧困と飢えで子どもを亡くし、夫まで交通事故で死んでしまい、絶

対に私についてどこまでも行くと言うのです。

 

 私は彼女の希望を見捨てたりせずに、共に生きる希望を抱いて豆満

江の川岸に到着し、5月17日暗闇を利用して青黒い豆満江を渡りま

した。豆満江の波がどれほど激しいのか、波に押され押されて、水底

に沈められたと思うとまた浮かび上がり、浮かんだと思うとまた沈み、

泳ぐことも知らず一時間半も深い水の中であっぷあっぷもがきました。

 

 中国に着いたのも分からずに、まだ水の中かともがいていたが、大

分経ってから気がつくと、川辺から少し離れた道辺に立っていました。

 

 死ぬ思いで人間生き地獄から抜け出て来たのに、豆満江で土座衛門

になってはいけないと、鉄のような信念で、無事に中国の土を踏んだ

という喜びと感激で、私たち二人は固く抱きしめあい泣きました。

 

 川向こうの地獄で延べ40日間の、あのおぞましい光景が今日も続

いていると思うと、私の心と足取りはより重く感じられるのでした。

 

 神様のお陰で運良く生き帰った私は、心の底から神様が北朝鮮の空

を覆ったあの真っ黒い雲を、一日も早く除去してしまわれることを忠

心からお祈り捧げます。

                 2000年5月21日 朴英蘭

                       

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