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100万人を破滅させた大銀行の犯罪
 

 

 実際不動産にかかわる者として、銀行の犯罪は歴然としていると、常々感じておりました。知り合いの不動産業者も、あのバブル期に「銀行が金を借りてくれ借りてくれと煩くて」とこぼしておりましたし、融資の時は元本の120%の融資をしてくれる。この20%は、当面の金利とのこと。しかしすぐに値がみるみる上がってしまうので、アホみたいにもうかるわ・・・・。それが今は、頭金が5割ないと銀行は融資をしません。将来の値下がりを見込んでいるわけです。これでは、ますます日本経済はしぼみます。
インフレ時もデフレ時も、それを増幅してしまうのが、銀行の姿勢の様です。

以下 「100万人を破滅させた大銀行の犯罪」  椎名麻紗枝 著 講談社 \1,800.-のはじめにから 転載 
詳しくは、本書を購入してください。 2001/10/2初版発行

はじめに

 バブルは、時に第二次大戦と比較されることがある。

あるエコノミストによれば、バブルからバブル崩壊まに失った国富は、第二次大戦で失った国富に匹敵するという。1989年から92年にかけて、株式の時価総額420兆円、土地の評価額380兆円が減少し、この資産の損失額計800兆円は、国富の11.3パーセントに相当する。第二次大戦での物的被害の対国富率、約14パーセントに近い数字であるという。

 ジャーナリストの田原総一郎氏は・朝日新聞編集委員の山田厚史氏との対談集『日本再敗北』(文薬春秋〕で、第二次大戦に突入していった過程とバブルの時のそれとが類似していると指摘している。第二次大戦に突入していった時、大半の人々は浮かれていて、どういう事態なのか気づいていなかった。バブルの時も、「戦勝気分」に浸っている時は、話もおかしいとは言わなかった。今から見れば、後半に入って戦局の雲行きが怪しくなったことに気づいて初めて、地価問題で国土法を見直すとか、経済に対して総量規制をかけるなどし始めたところが、類似しているというのだ。

私には、これほど長期に日本の社会、経済、文化に深刻な影響を与えておきながら、今もってバブルをもたらした者の責任が問われていないことが、第二次大戦の戦争責任が問われなかったこととオーバーラップして見える。

 そして、何よりも問題なのは、被爆者をはじめ、戦争被害者が長年放置されてきたのと同じように、バブルの直接の被害者が放置されていることだ。

 バブル期に、金余り現象の中で融資先獲得に躍起となった銀行から、相続税対策を名目に、変額保険、不動産投資などの提案融資を押し付けられた多数の個人が、その後のバブル崩壊で銀行の提案した返済スキームが破綻するや、銀行に彼らが長年働いて取得した自宅をはじめ、すべての財産を根こそぎ奪いとられようとしているのに、国は何ら救済しようとはしていない。自らバブルを煽り、バブルに狂奔して経営危機を招いた銀行に対しては、国民の血税で経営危機を救っているのに、だ。

 銀行被害も、サラ金被害同様に金融被害ではあるが、サラ金被害者のばあい比較的若年者が多いのに対し、銀行被害者は圧倒的に高齢者が多い点がまったく異なる。若ければ人生をやり直すことも可能だが、銀行被害者のばあい、生活を再建する余力も時間も残されてはいない。加えて、銀行被害のばあい、被害金額が高額である。サラ金では、貸金業規制法第13条で過剰融資が禁止されているのに、銀行にはこれを規制する法律がない。この法的規制の不備が、銀行被害を増大し、かつ深刻化した。多くの被害者は、数億円という高額の被害のため、精神に異常をきたしたり、家族崩壊にまで至るケースも珍しくはない。何よりもサラ金と違うのは、「提案」と言えば聞こえはいいが、貸し付ける銀行のほうから、本来は借金を必要としなかった人の自宅に押しかけていって、資金使途まで示して融資申し込みを強要している点である。

 なかには、埼玉銀行一現あさひ銀行一による五輪建設の不動産共同投資への融資のように、豊田商事まがいの詐欺商法を行って融資を押し付けた例もある。

 イギリスなら、「不招請勧誘(Unsolicited Call)として禁止されている営業活動が、ごく当たり前に行われていたのだ。

 この銀行の提案融資に利用されたのが、八○年代後半より大手都銀から売り出された不動産担保の「大型フリーローン」であった。大型フリーローンは、従来、銀行の融資の鉄則とされていた「資金使途の確認」「過剰融資の排除」が取り払われ、不動産の担保さえあれば、資金使途も年収も問わないというものである。

 銀行は、大型フリーローンにより株投資、不動産共同投資、ゴルフ会員権など、投機目的にみさかいない融資を行った。銀行は、大型フリーローンにより、いわば禁じ手を使って融資拡大に血道をあげたのである。「バブル期に銀行は変質した」と言われるが、まさに大型フリーローンこそは、銀行を従来の住宅口ーンなどの実需中心の融資から、大規模な消費者金融にのめりこませることになったものであり、銀行の変質を象徴的に示したものといえる。85年には、融資限度額が5000万円だったのが、87年には、3億円にまで高額化された。88年には、ノンバンクの審査

担当部から、銀行の個人向け消費者金融へのオーバーヒートぶりに対して「サラリーローン業界が過剰融資に走った82、83年に時代が逆行したようだ」という批判が出されたほどである。89年8月6日付の朝日新聞は、89年4月から6月期の都市銀行の個人向け融資額は、1兆722億円と、前年同期に比べ1.4倍に急膨張したこと、とりわけ住宅ローン以外のものが4683億円と、前年同期比で1.8倍と急増していることを伝えている。

 しかも90年3月に、いわゆる「総量規制」で投機的事業融資に行政上の歯止めがかかった後も、個人向け融資については何ら融資抑制が行われなかった。そのために、銀行は、不動産、ノンバンク、建設などへの融資ができにくくなって余った金を、これらの個人に振り向けたのである。

 92年以降こそ新規には売られていないが、バブル期に売り出されたフリー口ーンは、無担保も含めるとゆうに100万件を超えるといわれている。フリーローンの中でも、不動産担保の大型フリーローンの貸し出し額は、最低でも一億円を下らず、なかには数十億円もまれではない。その際、銀行は、個人の自宅などを担保にとったのだ。

 バブル崩壊後、銀行の提案融資のスキームが破綻して、金利が支払えなくなった人たちに対し、銀行は、自分の責任を棚上げして、情け容赦なく競売をかけてきているのだ。銀行による競売で自宅を失い、自殺、精神障害、心中などの状態に追い込まれている高齢者が少なくないのである。これが、長い人生を堅実に働いて日本の社会に貢献した人たちに対して日本の社会が報いるやり方であろうか。

 これらの銀行の押し付け過剰融資の被害者は、個々に被害の救済を求めて裁判所に訴えているが、周知のとおり、日本の司法が十分な救済の機能を果たしていない現状においては、ほとんどが徒労に終わっている。バブルが崩壊して10年を経過するというのに、今もって政府、金融庁は、これらの被害者の実態すら、明らかにしようとしないのだ。96年11月に金融ビッグバンが宣言され、金融分野全般にわたる規制緩和が大幅に推進された。だが、金融ビッグバンの先進国であるイギリスとは異なり、わが国では、消費者を保護するための静野は何ら講じられなかった。

 政府は、金融業務分野規制の撤廃、金融持ち株会社の解禁、九八年には金融制度改革法の制定など、金融市場改革に向けた体制の整備は急ぎながら、金融消費者保護法の立法化には手をつけようとしなかったのだ。その後政府も、世論に後押しされて、国会の答弁では金融消費者保護法の制定の必要性を認めたが、金融業界なかんずく銀行業界の強い反対をうけて、姿勢を後退させ、2000年に単なる金融機関の説明義務を定めた「金融商品販売法」を制定したに留まっている。しかしこのままであれば、今後のさらなる金融自由化によって、消費者の金融被害がますます増大するのは、明らかなのだ。たとえば、変額保険と類似する投資信託がそうだ。

 投資信託は、金融業界の垣根が取り払われて、98年12月から銀行の窓口での販売が解禁となった。銀行も収益拡大につながるとし

て販売に力を入れた結果、今や投資信託の約15%が、銀行が販売したものとなった。しかし、その後の株価全体の下落によって、大きな損失が生じるケースが頻出し、トラブルが激増しているのである。これらの消費者被害の発生を最小限にするためには、最低限、過去の実例の検証は不可欠である。それにより、どのような法的規制が行われていればこのような被害は生じなかったがが明らかになり、今後の立法の指針が示されるからである。ところで、バブルを煽り、バフルに狂奔した銀行に対しては、98年10月、金融機関の不良債権の処理を速やかに進めるためと称して、特別立法で公的資金を投入する途を開いた。

 公的資金の投入にあたって、法は、経営責任の明確化、社会経済的な費用の最小化、情報等の適切かつ十分な開示を要求している(金融早期健全化法第三条)。しかし、同法により、すでに八兆三八九二億円余が銀行に投入されたが、銀行の経営責任は、今もって明らかにされないままだ。

 しかも、投入された公的資金を、銀行は、極めて恣意的に大手ゼネコンや系列ノンバンクに対する巨額な不良債権の償却に充て、その一方で弱小企業や個人に対する債権については、苛酷な取り立てを行っている。多大な責任ある「強者」に極めて甘く、はるかに責任の少ない「弱者」に極めて厳しい。このようなあべこべの不良債権の処理を監督官庁や国会が容認していることに、私は、戦後、一貫して国民不在の政治が続いていることを痛感せずにはいられな国民の生命、健康、幸福を最高最善の価値とする日本国憲法が制定されながら、何よりも医療による救援が必要であった被爆者を、占領したアメリカの言いなりになって、「苦しむ被爆者はもう死んだ」というアメリカのプロパガンダをうけ入れ、見殺しにしてきた酷薄な日本の行政は、戦後55年以上経過しても、少しも変わっていないのだ目薬害エイズ事件もそうだった。厚生省一現厚生労働省)は、血友病患者の生命よりも製剤メーカーの企業利益を優先させ、危険な血液製剤の輸入を中止しなかった。約1500人がエイズウイルス(HIV)に感染し、約500人が死亡。しかも、何のいわれもなく被害を被った側でありながら、被害者であることを隠さなければならない日本社会の不条理・・・・。

 金融庁、銀行業界は「不良債権の処理は最終段階に入った」と言っている。しかし、本書の中で触れていくが、銀行から2000年3月に出された、衆議院の予備的調査(99年12月)に対する回答書でも、大型フリーローンは、今もって60万件も残っていることがわかっている。都銀各行は、不良債権隠しのために系列保証会社に代位弁済(不良債権のつけかえ)させたものについては回答を拒否しているので、これらを含めるとさらに増大する。しかも、銀行が「処理が終わった」とする個人向け不良債権だが、被害者の多くは自宅を奪われ、不幸のどん底に追い込まれているのである日これらの人たちを含めると、被害者は100万人を超える。

バブルの主犯は大蔵省(現金融庁)と大手都銀であるにもかかわらず、頬かむりしていれば、それで済むと考えているのだ。時間が経てばどんな辛いことも忘れる国民なのだ、とたかをくくっているとしか思えない。

 これだけの、おそらくは次世代にまでおよぶ犠牲を国民に押し付けることになるにもかかわらず、国政レベルでは、バブルの検証は行われていない。もう済んでしまったことだから、今さら言ってもはじまらないとでもいうのだろうか。

 バブルおよびバブルの処理が「犯意なき過ち」だったのか、あるいは犯意ある「未必の故意」だったのか。検証が行われれはすべてが明らかになったはずである。そうすれば当然、それらの責任の所在も明らかにされる。それに、何よりも、不良債権の処理が、「透明」で「公正」、かつ「迅速」に、そして「もっともコストがかからず」に、終わっていたと思うのである。

 私は、日本のバブルをいちばん熱心に研究しているのは、アメリカではなかろうかと思う。アメリカでも株式市場が冷え、消費が落ち込み、バブル崩壊を懸念する声が聞かれる中で、アメリカの政策担当者の間では、日本のバブル崩壊とその後の政策の検証が熱心に行われているということを耳にしたからだ。2001年1月25日の議会証言で、金融政策の責任者である米連邦準備制度理事会(FRB)のグリーンスパン議長が、それまでブッシュ大統領の大型減税案に反対の立場に立っていると見られていたのに、これを支持する態度に変わったことで注目を集めた。かねてから同議長は、アメリカのバブル崩壊に備えて、日本のバブル生成や崩壊を詳細に研究していたが、その結果、「経済に破滅的な影響を与えたのは、バブル崩壊そのものではなく、その後の政策の失敗によるものである」との認識をもっていた。それにもとづいて、「アメリカの景気後退に対し大型減税は有効である」という結論に到達したのだという。

 国民がこれだけの大きな犠牲を払っているのに、日本では、このバブルの教訓を活かして、これからの国民の生活に役立たせるためのシステムをつくろうという動きがない。単にアメリカの反面教師とされてきただけでは、本当に残念でならない。

 私は、平穏に暮らしていた多くの高齢者たちが、銀行をはじめとする金融機関の訪問をうけ、さまざまなセールストークによって巨額な融資をうけて、変額保険や不動産共同投資などを買わされ、その後のバブル崩壊により、人生の終盤で、まさに奈落の底に突き落とされてしまったような苦しみを味わわされている現状を、とても不公正だと思うのだ。明らかに、この人たちは被害者なのだ。被害者がいれば当然加害者もいる。大蔵省と銀行だ。そして、加害者に加担している人たちもいる。

 さらに、銀行に味方して、銀行被害者を救済しようとしない裁判所のありようも問題にされなければならない。

 確かに、バブル期の押し付け融資は、従来、裁判所が扱っていた銀行の貸金請求事件とはま

ったく異質の融資事件だ。従来の法律が想定しなかったような新しい出来事には、法律の解釈を任務とする司法が適切に対応するには限界があることも事実である。しかし、それを考慮に入れても、金融被害に対する裁判の現状はあまりにひどい。裁判所は、明らかに加害者を擁護しているのだ。

 本書は、これらの銀行被害の実態とそれを生み出した加害の構造、さらには銀行被害者が救済されずに放置されている現状を明らかにすることを目的としている。しかし、私一入でその全体を明らかにすることはとうてい不可能である。できることならば、本書が、「バブル検証特別国会」の開催につながり、国民の前で、

@バブル経済はどうして起きたのか、

Aバブルおよびバブル崩壊により、日本は何を失ったのか、

B銀行の不良債権は、いったいどのくらいあるのか、

Cどうして、そのような不良債権ができたのか、

Dそれらの不良債権はどのように処理されるべきか、

E二度とこのようなことが起こらないようにするためには、どのようなシステムをつくる必要があるか、

が徹底的に検証、議論されることを切望している。

【付記】@本書で扱う内容は、1980年代後半から2001年にまでおよぶ。その間、銀行の合併、省庁再編のため、該当組織の名称が大きく変わっている。本書では、原則その時点の名称で表記し、初出時、または必要に応じて現在の名称等を何一記するものとした。名称を統一すると、かえって事実関係に混乱を招く恐れがあるので、多少読みにくい面があるかもしれないがご容赦願いたい目A注釈のない肩書は、当時のものである。

銀行の融資姿勢

 

 

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